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Jリーグ発足前に活躍した名選手 釜本邦茂

サッカー日本代表の輝かしい実績はここ最近のものだけではありません。1968年に行われたメキシコオリンピックで日本代表は銅メダルを獲得しました。その時の立役者が釜本邦茂さんです。

釜本さんは、国際Aマッチにおいて76試合に出場し、75ゴールを決める驚異的な記録を残しており、この記録は今も男子サッカーの歴代ゴール記録として破られていません。

メキシコオリンピック以前から釜本さんは日本のエースストライカーとして活躍していましたが、西ドイツに短期留学をして才能がさらに開花し、メキシコオリンピックでは全ての得点とアシストに絡む大活躍を見せました。

1977年に現役を引退し、セレッソ大阪の前身であるヤンマーの監督に就任し、指導者としてJリーグ創設期のガンバ大阪の監督として参加し、94年まで指揮していました。

以後は国会議員として、活躍の場を広げてきました。釜本選手は日本を代表する名選手として今も多くの人に語り継がれており、また現在のサッカー日本代表、またはJリーグ全体に対する叱咤激励にサッカー関係者の多くが耳を傾けています。

サッカー日本代表が長らく悩んでいる得点力不足とは無縁の時代があり、それを支えていたのが釜本さんでした。今後も金言の数々に期待したいところです。

Jリーグ名選手 レジェンド三浦知良

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2015年現在、J2横浜FCに所属する三浦和良選手は、サッカー界の「レジェンド」と称されています。48歳を迎え、なお現役として活躍する三浦知良選手のこれまでの経歴を振り返っていきましょう。

日本にJリーグが誕生する以前、15歳の時に単身ブラジルへ渡り、本場のサッカーを学んだ彼はクラブとプロ契約を交わし、日本人として初のゴールを決めるなど活躍をしました。

そして1990年、日本でプロリーグ誕生の機運が高まるとともに日本に帰国。ヴェルディ川崎の一員になります。

1993年にJリーグが開幕すると、彼を中心とするスター軍団は勝ち星を量産、初年度のチャンピオンとなったのです。翌年も連覇を果たし、ヴェルディ川崎の黄金時代を作り上げました

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そして1994年、イタリアサッカーリーグ、セリエAに日本人として初の移籍。目立った活躍はできなかったものの、後年海外のトップリーグに多数の選手が移籍、活躍するようになる礎となる行動でした。

日本代表としても中心的な活躍をします。残念ながら夢のW杯出場はかなわなかったものの、通算55得点を記録し、アジアにおける日本の地位を高める事に貢献しました。

以降は数回の海外クラブ移籍、Jリーグチームへの移籍を経た後、2006年より横浜FCに在籍しています。途中出場ながら最年長ゴールを決めるなど、いまだに数多くの記録を達成する名選手です。

Jリーグが育てた若き名選手 香川真司

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現在、日本代表の10番を背負う香川真司がプロのキャリアをスタートさせたのはJリーグのセレッソ大阪でした。セレッソは前身がヤンマーで、名門チームですが、当時はJ2、つまり2部リーグに落ちている状態でした。

しかし、クルピ監督に見いだされてレギュラーに抜擢された香川は攻撃の格として活躍、後に日本代表に抜擢されますが、2010年の南アフリカ大会ではサポートメンバーとして帯同できたものの、メンバー入りはなりませんでした。

ワールドカップ終了後、ドイツブンデスリーガの名門、ドルトムントに移籍。ここでのクロップ監督との出会いが香川を名選手として押し上げます。

ドルトムントがセレッソに支払った移籍金はわずか4000万円程度でしたが、香川はセレッソのときと同様に、攻撃陣を引っ張ります。

そして、2012年にはドルトムントでの活躍が認められて、イングランドプレミアリーグの超名門、マンチェスターユナイテッドに移籍します。リーグ戦でハットトリックを達成しますが、体調不良もあり、出場機会を減らしていきます。

現在はドルトムントに復帰して、輝きを取り戻し始めています。香川はJリーグが育てた日本人選手としては、世界でもっとも評価されている選手の一人と言っていいでしょう。

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